読んでいない論文について堂々と語る方法
私は論文を読むのが苦手だ。なかなかきちんと、最初から最後まで読めない。途中で飽き足り気が散ったりしてしまう。Abstract -> Figureとlegend -> Method確認しながらResult読む->DiscussionとIntroduction読む、という感じで読み進めるのだけど、だいたいAbstract読んでわかった気になってしまう。もちろん、ある論文を下敷きにして実験をする場合、かなり丁寧に読み込んだりはするけど、ちょっと関係あるとか興味ある、という程度の研究の場合は、最初から最後まで読むことはあまりない。AbstractとResult一部だけ、という感じだったりする。
研究者が研究成果を発表するとき、書いた論文を同じ研究者に審査してもらって(査読)、雑誌に発表したり、会議で発表したりする(工学系などの場合) ことになる (*1)。論文を書くときは、これまで行われてきた研究背景等を説明し、自分の研究がなぜ意義深いのか、どう優れているのかを説明する必要がある。このとき、当然先行研究を引用することになる。論文の著者は、自分が引用した論文は当然読んでいるべきだし、内容も理解できているはずだ。しかし、人の論文を読んでいると、本当にその引用論文読んでいるの?引用間違ってない?と思うような論文もたくさんある。実際、周りの研究者でも、自分が引用した論文を読んでいないな...と思わせる人もいるものだ。
しかし、自分がその論文を読んだ・理解したと定義するためには何が必要なのだろうか。そもそも論文を読むっていうのはどういうことなのか。
今、日本では、STAP細胞関連で研究の捏造が話題になっていて、第一著者である小保方氏の論文でも、引用に関するルール違反が見つかったようだ。彼女の場合は明らかに参考にしていそうな論文を引用していないということなので、これは剽窃の定義に当てはまるだろう。では逆に、読んでいない論文を引用するっていうのは、道義的には明らかに問題はあるが、厳密にルール違反なのだろうか。
論文引用に関するルールはいろいろあるが、
- 論文引用は過不足なく行う。必要な論文のみ引用する
- コピー&ペースト(そのまま論文の内容を持ってくる)は必要最小限にとどめる
- 出典は正しく書く(人名や書名など間違えない)
が主なルールだろうか。こう考えると、読んでいない・理解していない論文を引くのは、1のルールに反しているような気がする。
けれど、正直なところ、「読んでいない」論文を引用するのはよくあることなのではないかと思う。例えばとある解析ツールを使って論文を書いた場合を考えてみる。こういう場合、ツールを使った人はXXという論文を引用してください、と指定される場合が多い。こういう場合、おそらくだが、皆論文をダウンロードしていても、本文を最初から最後まで読んでいたり、ツールの性能評価でどういう実験解析をしたかなど、きちんと理解しているひとは少ないのではないか。たとえ最初から最後まで読んだとしても、「ざっと目を通した」のと、「理解した」の間には、大きな差があるように感じる。こういう場合でも、論文は読んでいると言えるのだろうか。引用が義務づけられているので、とにかく引いてしまえばいいや、ということになっていて、理解していない論文を引いているので、グレーゾーンにあたるだろう。
ただ、引用論文なんて、極端な話、読んでいなくても別にかまわないんじゃないかと思わなくもない。

- 作者: ピエール・バイヤール,大浦康介
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2008/11/27
- メディア: 単行本
- 購入: 17人 クリック: 306回
- この商品を含むブログ (95件) を見る
この「読んでいない本について堂々と語る方法」は、読書論やテクスト解析についての本で、論文の読み方や研究のあり方について直接的に論じた本ではないのだけれど、ここに書いてある読書論は、研究で論文を読む場面にも当てはまるのではないかと思うのだ。読書とは、その本の内容やコンテクストを、より大きな知識の体系(「図書館」)の中で理解し、自分なりに消化することである、とこの本の中では論じられていたと思う。論文もそうで、その研究が行われている背景や手法について、他論文との比較や限界などを理解していれば、(極端にいえば)本文など目を通していなくてもかまわないのかもしれない(もちろん、理解が間違っていれば、責任は自分にある)。読むこと」自体は、実は論文において最も重要なパートではないのかもしれないのだ。
ついでにいうと、実際、その論文を自分が読んでいることを証明する、というのは至難の業だ。論文ファイルやコピーが手もとにあったとしても、読んだことの証明にはならないのだから(*2)。
そういうわけで、私もどんどん「読んでいない」論文について語っていきたいと思っている。しかし、案外、この背景まで含めて論文の意味を理解する、意義を見いだすというのが難しい。読んでいない論文について語るのも楽じゃない。
ちなみに、STAP細胞のことについてもう一つ。
私はロンドンで実験系生命科学関連の研究をしているけれど、STAP細胞に関して同僚と話したことはほとんどない。自分から話を振ったら、へえそうなんだ、まあよくあることだよねという反応だった。マレーシア航空事件の方がよほど食いつきがいい。STAP細胞の捏造疑惑騒動がNatureのNews欄で取り上げられた週のラボミーティングでも、マレーシア航空事件は機長の自殺だ、いやアメリカの陰謀だバミューダトライアングルだとか、そういう話で盛り上がったのだった。出張の機会が多い科学者にとっては、飛行機事故より交通事故のリスクの方が高いとわかっていても、飛行機事故はやはり怖いものなのだ。
*1: 学会発表、というのは、工学系などを除き、この審査がほとんどない・あっても非常にゆるい場合が多いので、学術活動ではあるが、研究成果として認められない分野もある。
*2: でもコピーやファイルを持っていない・いざというときに原典をあたれない論文を引用するのはルール違反のように思う。生データが出せなければ捏造判定を下されると言うのと同じ。